更新日:2023年11月24日

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No.540「学びの大切さ」

わたしは今月から会社の人権教育担当になり「どうしたらいいんだろう?」と不安な気持ちでいました。
ある日、家で研修資料を見ながら考えていたときのことです。社会人の娘から「何してるの?」と声を掛けられました。今の状況を説明して、ふとわたしが「研修のテーマは部落差別で考えていて、資料を集めてるんだ。でもわざわざ研修する必要あるのかな?差別を受けたことがあるなんて話、周りで聞いたことがないんだよな」とつぶやくと、娘は「お父さん、それ違うと思う」と言うのです。思いがけない言葉に驚いていると、娘は「実はわたしもずっとお父さんと同じ考えで、差別はない、だから関係ないし学ばないでもいいんじゃないかと思っていた。でも、会社の人権研修で、被差別部落出身の講師が、『差別されたとき、親を苦しめたくないから、親には相談できなかった。自分の出身を知られることでまた別の差別が生まれるんじゃないか、と思って友人にも話せなかった。だから誰にも言えなかった』と話していたんだ。ないと思っていただけで、差別は今もあることが分かったから、とても衝撃的だった」と言ったのです。そして、娘は「差別があるのにそのままにして、何もしなくていいの?知らないままでいるのも差別なんじゃないの?」とわたしに問いかけました。娘は学びを深めることで、自分の考えの間違いに気付くことができていたのです。
最後に娘は「わたしの会社は月に1回研修があって、学ぶ機会があるから少しは変われたかな。自分自身を見つめ直して考えるきっかけになっているの。だから、お父さんがしようとしている職場研修や人権教育はとても大切なことだと思うよ」と話してくれました。
わたしは娘との話をきっかけに学びの大切さが分かり、人権教育に対する思いや責任感を強くすることができたのです。ナビー

 

差別は「ない」のではなく「見えない」のです。自分自身も含め、身の回りにある差別に気が付くためには「知る」ことや確かな「学び」が大切なのです。

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部人権・同和教育課 

電話番号:(097)537-5651

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