更新日:2020年6月15日

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No.499「当たり前の中に…」

祖母の部屋の片付けを手伝った時に、押し入れに古い教科書を見つけました。「これ、どうする?」と確かめると、祖母は「それは捨てないで。大切な物だから…」と言いました。なぜだろうと思いながら教科書を見ていると、祖母以外の名前が書かれているものがあることに気付きました。わたしが「他の人の名前が書かれているのは、どうして?」と尋ねると、祖母はその教科書を持って「これは、おさがりだからよ」と答えました。
「えっ、おさがり?教科書が?」と不思議がるわたしに、「そうよ。昔は今みたいに学校で配られなかったの。だから、買ったり、もらったりしてそれぞれの家庭で、そろえていたのよ。買うと高いから、わたしはもらったの。随分傷んでいたけれど、もしかしたら、また他の人に渡すかもしれないと思って大切に使っていたわ」と言ったのです。初めて聞く話にわたしが驚いていると、祖母は「でも、小学校5年生の時に、学校で初めてみんなに教科書が無料で配られたのよ。その時のことは今でもはっきりと覚えているわ。それからは、毎年、新しい教科書で学べるようになったことが本当にうれしかった。この教科書を見るといろいろなことが思い出されるから、いつまでも捨てられないのよね…」と続けたのです。

わたしは、祖母が教科書を大切に残している気持ちが分かるとともに、教科書が無料で配られるようになった理由を知りたくなりました。zuutan
差別により、苦しい生活を強いられていた人々の中には、子どもを学校に行かせることが困難な人もいました。高知県のある地域の母親たちの「せめて教科書だけでも無償に」という切なる願いは多くの人の共感を呼びました。それが一つのきっかけとなり、1963年に義務教育諸学校の教科書を無償とする法律が施行され、翌年から順次無償配布されました。

日ごろ、当たり前と思っていることを「なぜだろう?」と見つめ直してみると、今の暮らしにつながる、さまざまな人たちの願いが見えてくることもあるのではないでしょうか。

 

 

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