ホーム > くらし・手続き > 人権・同和問題 > 人権教育 > 人権・同和教育シリーズ > No.496「声を上げられなくしているものは…」

更新日:2020年3月16日

ここから本文です。

No.496「声を上げられなくしているものは…」

人権・同和問題講演会があり、参加することになりました。前日に、配付されたチラシを見ると、講師は被差別部落出身の方で、各地で自分自身の経験を話していることが分かりました。わたしは「部落差別なんて昔の話だし、わたしには関係ない。それに、なんでわざわざ講演なんてするんだろう」そんな考えでいました。
講師は20歳代の方でした。結婚の際に差別を経験し、その時には多くの仲間が支えてくれたそうです。その話を聞いて、今も現実に差別があることが分かると同時に、わたしは「どうして差別の体験をみんなの前で言えるのだろうか」という疑問を持ちました。しかし、その後の話が答えを示してくれました。
結婚の際に身元調査をされ、自分の知らないところで、自分や家族についてのことが広まった話をした時です。「なぜわたしたちが差別を受けないといけないのですか。差別はされる側の問題ではなく、する側の問題です。わたしは絶対に差別を許せません。同じ思いの人がたくさんいます。その人たちの気持ちを伝えたくて、わたしは講演活動をするという道を選びました。でも、自分の思いを表現できる人ばかりではありません。『分かってほしいけど言えない』そういう思いの人もいるんです。皆さんの周りにもいるんです」と、はっきりした口調で言いました。
わたしはドキッとしました。自分のつらい体験を他人に語ることを好む人は誰もいないはずです。それをわたしは「なんでわざわざ…」と考えていたのです。無意識のうちに自分の中に植え付けられた差別心…。差別の現実を誰よりも知っているからこそ、自分の体験を伝え、誰もが自分らしく生きていけるような社会にしていきたいという願いを持っていることに気が付きました。
ズータン
「差別はない」、「わたしには関係ない」、「あっても大したことない」、そんな考えにより、差別されている人が声を上げられないのです。同時に、差別の現実を見えにくくしているのです。

 

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部人権・同和教育課 

電話番号:(097)537-5651

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページの内容はわかりやすかったですか?

このページの内容は参考になりましたか?

ページの先頭へ戻る