更新日:2019年11月15日

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No.492「幸せとは…」

つい先日、子どもが結婚相手を連れてきました。以前から話を聞いていましたが、会ってみると、その通りとても感じが良く、すてきな人でした。しかし、二人が帰った後、妻が「昔は、結婚の時に相手や家族を調べていたと聞いたことがあるけど、どうなの?」と言うのです。わたし自身、結婚は本人同士が良ければいいという考えでしたが、妻がそう言うので、そういうものなのかな、と思うようになっていったのです。
不安だったので、妻と二人で近くに住む兄に相談しました。兄は教員で、これまでも子どものことで迷った時には、話を聞いてもらっていました。事情を話すと「何が知りたいの?」と聞かれました。「まぁ、人柄とか…」と言うと「本人に会って、分かっただろう」兄はそう答えました。わたしが「いや、ほら…」と言ってその後黙っていると、「何が知りたいんだ。何か気になることがあるのか…。そもそも、いろいろ調べたことを、もし二人が知ったらどう思うだろうか」と続けたのです。
何も言えずにいると、兄は、自分が相談を受けていた教え子の話を始めました。教え子は、被差別部落出身であることを理由に、相手の親から結婚に反対されたのです。そしてその親は、結婚式も参加せず、孫が生まれてもしばらくは会わなかったのです。時間がたち、今ではいい関係を取り戻したけれど、親は、味わえたはずの幸せな日々を失ってしまったことを今でも悔やんでいるそうです。兄は、「差別は、された人も、そしてした人も不幸にするんだ」と言いました。
わたしは、自分たちがしようとしていたことが、子どもの幸せを奪う、そしてわたしや妻の幸せも奪う可能性がある行為だということに気付かされたのです。
子どもの幸せを応援しよう、そう言って妻と顔を見合わせました。

子どもの結婚を親が心配するのは当然のことです。だからといって相手を「調べる」という行為が正当化されるわけではありません。
差別は差別をする人をも不幸にします。差別的な慣習を変えていくことが、一人一人の幸せにつながるのです。
kippi

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電話番号:(097)537-5651

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