更新日:2019年5月15日

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No.486「大人として」

彼と付き合い始めてちょうど一年目のゴールデンウィーク。彼が以前働いていた飲食店でデートすることになりました。注文をしてふとテレビを見ると、子どもの貧困についてのニュースが流れてきました。わたしは何気なく「親の努力が足りないんじゃないの?わたしなら自分の子どもに辛い思いはさせないわ」とつぶやきました。すると彼が「親の責任?…どんなに頑張ってもどうしようもないこともあるんじゃないの」と言ったのです。
わたしが驚いていると、彼は「実は…」と自分の親のことを話し始めました。親は一生懸命働いていたこと、でも生活には余裕がなかったこと、親に迷惑を掛けたくなくて我慢することが多かったこと、他の家庭をうらやましいと思っていたことなど、初めて聞く話をしたのです。最後に「母さんは、俺のことを考えると、もっと辛かったと思うんだ。だから、努力が足りない…その言葉だけで片付けられてしまうと」と声を詰まらせたのです。まさか彼が…わたしは何も言うことができませんでした。
その後も、たくさん彼の話を聞きました。彼は「話してすっきりしたよ。君には、知っていてもらいたいと思っていたんだ」と笑顔で言ったのです。
無関心な人や他人事にしか考えない人が多いから、苦しんでいる人が声を上げづらくなること、そしてそれが苦しんでいる人を見えづらくしていることに気づきました。何よりわたしもその原因をつくっている一人だということを痛感したのです。kippi

「見ようとしなければ見えない」現実がすぐそばにあります。無関心であったり、当事者だけの責任としたりするのではなく、一人ひとりの問題として考えていくことが必要です。それが今、わたしたちにできることであり、「子どもの将来が生まれ育った環境によって左右されない社会を実現する」ためには欠かせないことなのです。

※厚生労働省の調査(2015年)では17歳未満の子どもの約7人に1人が相対的貧困であるとされています。

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部人権・同和教育課 

電話番号:(097)537-5651

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