更新日:2020年4月15日

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No.497「心配だからこそ…」

先日、実家に帰ると、玄関の前に買い物袋を持った知らない人が立っていました。わたしが「どちら様ですか?何かご用ですか?」と尋ねても、その人は何も答えず、困ったわたしは父を呼びました。父は、その人を見るなり「あれっ、どうしました?そうか…。一緒に帰りましょう」と声をかけ、二人で歩き出したので、わたしもついて行きました。

その人の家に着くと、家族が出てきました。父が「わたしの家の前にいらっしゃったので、ご一緒しました。買い物に行かれたんですね」と伝えると、家族は「そうなんです。すみません。送っていただき、ありがとうございました」と言いました。父は「いえいえ、近所ですから」とだけ答え、家を後にしたのです。
気になったわたしは帰り道、父に「あの人、認知症じゃない?一人で出かけさせて、家族は心配じゃないのかしら。父さんもそう思わない?さっきみたいなことがたびたびあったら、大変だよね。家族にもっとはっきりと言ってあげればよかったのに…」と言いました。すると、父は「この前、あの家族から話を聞く機会があってね。最近、認知症の症状がみられるようになったという話だったんだ。仕事は前のようには出来なくなったけれど続けているらしいし、趣味の料理も楽しんでいるみたいで、買い物にも行くそうだよ。

今日は、その帰りに家が分からなくなったんだろうね。家族が、近所のわたしにそんな話をしてくれたのは、心配だからこそだったんじゃないかな。みんなで見守ることができたらいいね」と言ったのです。
父は、あの人の様子や家族の話から、思いや困りを想像した上で、考え、行動していたのです。

そんな父を頼もしく感じるとともに、わたしも周りの人たちの思いや困りに寄り添っていきたいと思いました。

nabi
誰もがかけがえのない存在です。一人ひとりが尊重され、生きがいをもって生活するためには、まずは相手の思いや願いを理解することが大切です。かかわることやふれ合うことがその第一歩になるのではないでしょうか。

 

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電話番号:(097)537-5651

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