更新日:2024年11月25日
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わたしが通う中学校は明日が授業参観日で、十二月の人権週間に合わせて人権学習をします。
「どんな学習をするんだろうね」と言う母に、わたしは「明日も差別について学ぶんだって。いつも先生は『差別をなくすためには学ぶことが必要です』と言うけど、自分のまわりには差別はないから、そんなに学ぶ必要はないと思うけどな…。母さんもそう思わない?」と返しました。
母は「分かるよ、その気持ち。でもね…」とつぶやき、少し間を置いてから数十年前の出来事を語り始めたのです。
ある日、同じクラスのアキ(仮名)さんの家で勉強をすることになったの。せっかくならと二人の友だちにも声を掛けたら「ありがとう。絶対行くね」と言ってたのに、結局来なくてね。
次の日に理由を尋ねると二人とも「家族に止められて…」とつぶやき、さらに家族から「アキさんの住んでいる所には行かないで」と言われたことを知ったのよ。何でだろう?と思ったけれど、それ以降二人がアキさんを避けるようになったのを見て、きっと何かあるのだろうと思ったわたしも次第にアキさんを避けるようになったの。
話を聞き終え、わたしが「住んでいる場所が理由でアキさんを避けたの?」と返すと、母は「その通りよ」と言うのです。
母の言葉に驚き「生まれた場所や住んでいる場所は、本人に責任のないこと、変えられないことよ。それを理由に人を避けることは差別でしょ。どうして気付かなかったのよ」と憤るわたしに、母は「今思えば、そうよね。あのときにきちんと学んでいたら、あなたのように差別に気付けたのに…。ずっと後悔してるから、あなたには同じ思いをしてほしくないな。明日の人権学習、楽しみにしてるよ」と言うのでした。
母の話を聞き、学ぶことの大切さを感じたわたしも明日の人権学習が楽しみになったのでした。
部落差別をはじめあらゆる差別を解消するためには、確かな学びが必要です。改めてわたしたち一人ひとりが学びをスタートさせてみませんか?