更新日:2021年12月1日
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わたしの会社では、毎年、講師を招いて人権研修をしています。今回のテーマは部落差別についてでした。研修が始まる前、隣にいた同期の友人に「部落差別って自分の周りでは聞かないし、今はないのでは?何もせずにそっとしておいた方がいいと思う」と言うと、友人は「そうかな…」と何か言いたそうでしたが、そのまま研修が始まってしまいました。
講師は自分の年齢に近い若い人で、自ら受けた結婚差別について話してくれました。わたしは、部落差別が現在でもあると初めて実感したのです。
最後に講師が「みなさんは、自分の大切な人から苦しさを打ち明けられたり、悩みを相談されたりしたとき、何もせずにそっとしておくことはできますか?」と参加者に、問いかけました。「わたしだったら、絶対にそんなことはできない」と思ったとき「今はない」「そっとしておいた方がいい」という自分の考えが、いかに冷たくひどいかということが分かったのです。ふと、横を見ると友人が涙ぐんでいました。
講演後、友人に「もしかして…」と話しかけると、友人はうつむいたまま黙っています。「ごめん、わたし間違っていた。今は差別はないのでは…そんな考えはひどいよね。今日の研修で分かったよ」と伝えました。すると、友人は「話そうかどうか、すごく迷ったけれど、やっぱりあなたに聞いてほしい。実はね、結婚のことで相談したかったの」と言い、真っすぐわたしを見つめました。
わたしは、そばにいたのに友人の苦しさに気付いていなかったこと、さらには、自分が相談できない雰囲気をつくっていたことに気が付いたのです。「ごめん、話してくれてありがとう。よかったら話を聞かせてくれる?」と言うと、友人の顔に笑顔が浮かびました。
部落差別は自分の周りで聞かないから「ない」のではなく、「見えていない」だけなのです。一番伝えたいことは、一番言えないことでもあります。自分のそばに、苦しんだり、悩んだりしている人がいるかもしれないと思うことが、差別をなくす一歩になるのです。