更新日:2024年6月1日
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この春からわたしは、子どもたちの登下校を見守るボランティア活動を始めました。
数年前に機能性などに配慮した制服が導入されましたが、スカートではなくスラックスをはいている女子中学生にわたしは違和感を覚えていました。
ある朝のことです。その日が初めての見守りとなる林(仮名)さんと一緒に活動していると、スラックスをはいた女子中学生数人がいつものように楽しそうにやって来ました。林さんは特に気にする様子もなく笑顔で「行ってらっしゃい。気を付けてね」と声を掛けるのです。
「子どもたちを見ると、こっちも元気になりますね」と言う林さんに、わたしは「最近は女子も男子も見分けがつかなくなりましたが、何か違和感がありますよね」と話し掛けました。
すると、林さんは子どもたちの後ろ姿を見ながら「言われると、そうかもしれませんね」とつぶやき、少し考えてから「もう数十年も前のことですけどね。妻が出産で体調を崩してしまい、当時は育児休業がなかったので、周囲の冷たさを感じながらもわたしは早退や休暇を繰り返したんです」と話し出しました。そして「時代は変わりましたよね。育児休業は制度化され、多くの人がその必要性を理解したから、女性はもちろん男性の取得者も増えましたね。でも、当時早退したり、休んだりする度に『男のくせに…』や『またか…』と言われ、わたしがくやしい思いをしたように、今もまだ『こうあるべき』という見方によって、取りたくても取れない人もいると思いますよ。確かに、女性や男性で分けることが必要なときもありますが、制服は分ける必要がないと思いませんか?」と投げ掛けられました。
わたしはそのとき初めて、違和感の原因が自分の中にある「当たり前」や「普通」といった見方にあることに気付いたのです。そして、自分が変われば、制服も育児休業ももっと自由に選べる人が増えると思えたわたしから「変わるべきは、自分なんだ」の言葉が自然ともれたのでした。
誰もがその人らしく暮らしていくためには、まずは一人ひとりが自分の中にある「当たり前」や「普通」といった見方に向き合うことが大切です。