ホーム > くらし・手続き > 人権・同和問題 > 人権教育 > 人権・同和教育シリーズ > No.551「気持ちに寄り添う」
更新日:2024年10月25日
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夕方、会社から帰宅しようとしたときです。息子から、出掛けている間に自転車がなくなったので迎えに来てほしいと連絡があったのでした。わたしは「テスト期間中なのに、出掛けるからでしょ!」と強く言うと「ちょっと気晴らしに出掛けただけなんだけど…」と言い訳のように言うのでした。
息子を迎えに行き、一緒に周辺を探したのですが見つからず、警察に盗難届を出してようやく帰宅しました。自転車のことを夫に話しながら、息子に「テスト勉強に集中してないからでしょ」と言うと、息子は「…」と黙ったままです。「もう自業自得よ」と息子に言いながら、夫にも厳しく言ってもらおうと促すと、夫は意外なことを話すのです。「自転車がなくなったのは残念だったな。でもテスト期間中だったことと、自転車がなくなったことと関係あるのかな?それに、自転車を盗られた方が悪いってことになっているよね」と。わたしは夫の問いかけに「まあ確かに…」と思いながらも、もやもやした気持ちでいると、夫は続けて「実はこの間、反省したことがあってね。会社の休憩中にテレビで痴漢被害を取り上げたニュースがあったとき、思わず、きっと露出の多い服を着て歩いてたんだろって言ったんだ。そのとき会社の友人から『どんな服を着るかは、本人の自由だろ。そもそも痴漢は犯罪なのに、被害者を責めるのは間違った考え方だし、そのことで被害者を二度傷つけることになるんじゃないかな』って教えられたんだ」と語るのでした。
夫の話を聞きながら「被害者は息子なのに…」という思いに至ったのです。被害者に原因を押し付けたり、責めたりすれば、さらに傷つけることになる…。わたしに一方的に責められ何も言えなくなった息子の思いを感じ取りながら、もう一度息子の気持ちに寄り添おうと考えるのでした。
被害者に原因を求める「被害者非難」の考え方は、差別は差別される側にも原因があるという誤った考え方につながります。そうならないためにも、自分自身としっかりと向き合うことが大事ではないでしょうか。