ホーム > くらし・手続き > 人権・同和問題 > 人権教育 > 人権・同和教育シリーズ > No.490「見方が変わると…」
更新日:2019年9月17日
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わたしには一緒に住んでいる祖父がいます。昔は、野球が大好きな祖父とよくキャッチボールをしていました。
わたしは、同じ野球部のコウキ(仮名)と仲が良く、お互いの家にもよく遊びに行くのですが、コウキが遊びに来たとき、ちょっとした問題が起こるのです。祖父はコウキを見ると「コウジ」と、名前を間違えるのです。「おじいちゃん、コウジじゃなくてコウキだよ」初めのうちはみんなと笑っていましたが、たびたび起こるようになり、コウキに申し訳ない気持ちと、祖父に対するいらだちを感じるようになりました。
夏休みのある日、わたしが出かけている間にコウキが遊びに来ていて、祖父と話をしていました。「帰って来たな。じゃあな、コウジくん」そう言って祖父は部屋を出ていきました。「ごめんな。コウキだって何回も言っているんだけど。これまでこんなことなかったのに…」わたしが謝ると、「いいって。それより、おじいちゃんすごいよな」と言うのです。何がすごいのか尋ねると、「野球だよ。バッティングのコツとか、ずっと俺に教えてくれていたんだよ。プロ野球のことも詳しいし。今の監督が選手の頃の話とか。楽しかったよ。いいな、毎日こんな話ができて」とさっきまで話していたことを興奮して教えてくれるのです。
その話を聞き、昔を思い出しました。祖父とキャッチボールをしてはその帰り道にたくさん野球の話をし、わたしはその影響で野球が好きになりました。でも最近は、動作が遅くなったり物忘れが激しくなったりするなど、祖父ができなくなったことにいらだちを感じていたのです。一番近くにいるのに、祖父の一面しか見ていなかったことに気付きました。「そう言えば、最近おじいちゃんと話をしていないな。最後にしたのはいつだろう。おじいちゃんは何も言わないけど、どう感じているんだろう…」そんなことを考えると、無性に祖父と話がしたくなりました。
相手に対しての見方が変わることで、言葉や態度が変わり、関係性も変わっていきます。身近なところから振り返ってみませんか。