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更新日:2025年9月17日
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分類 | 県指定史跡・市指定史跡 |
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府内城は、慶長2年(1597)、福原直高により築城が開始され、竹中重利が増改築を行い、慶長7年(1602)には四層の天守を含む城の全容が完成しました。これに続き城下町の建設が行われ、東西1,200m、南北950mの範囲で府内城下町が完成しました。その後、日根野吉明の入封を経て、万治元年(1658)に大給松平忠昭が新藩主となり、その後明治4年(1871)の廃藩置県まで、10代にわたる藩主によって府内藩政が進められました。この間、寛保3年(1743)の大火によって、天守を始めとする城の施設の多くが焼失し、天守が再建されることはありませんでした。明治以降二之丸には大分県庁が置かれ、昭和20年(1945)7月には大分空襲による戦災で南西角櫓など5つの櫓が焼失しました。 現在の府内城は、昭和41年(1966)に焼失した櫓が復元され(鉄筋コンクリート製)、城址公園として市民の憩いの場になっています。また大分市では平成6年(1994)に「府内城周辺整備事業」に着手し、平成7年度に二之丸と山里丸を結ぶ廊下橋の復元を行いました。 |
名称 | 府内城跡(ふないじょうあと) |
指定年月 | 県:昭和38年2月15日 市:平成7年2月17日 (県指定を除く城地) |
時代 | 安土・桃山時代~江戸時代 |
所在地(指定地番) | 大分市大手町3丁目の一部・荷揚町73、75 |
桜の名所として知られる大分城址公園(荷揚町)は、安土・桃山時代から江戸時代にかけて府内城があった場所です。
この地は当時、大分川の分流と住吉川が海に注ぎ込む海辺で、帯曲輪(おびぐるわ)と呼ばれる人工の土手で水をせき止めて堀を掘削し、石垣を積上げながら盛土造成工事が行われました。
石垣の上には府内城の天守をはじめ、本丸(ほんまる)や二之丸(にのまる)に15棟にも及ぶ建物群が並び、その数は九州の名だたる城にも引けを取らない規模でした。
江戸時代の終わり頃に建て替えらえた、宗門櫓(しゅうもんやぐら)と人質櫓(ひとじちやぐら)の2つの建物、天守台や石垣、堀跡は県指定の史跡で、当時の姿を今も楽しむことができます。これを機に春の大分城址公園にお越しください。
現在、桜並木がある歩道が帯曲輪の場所で、江戸時代の石垣が歩道の両側に残されています。
所在地 :荷揚町4
移動時間 :大分駅から徒歩約15分 車で約5分
駐車場 :大分城址公園臨時駐車場 平日 午前8時~午後5時 ※入口で府内城見学とお伝えください