ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > 大分歴史探索 > 大分市の歴史探訪5(中央地区)

更新日:2009年4月28日

ここから本文です。

大分市の歴史探訪5(中央地区)

古宮古墳[国指定史跡]
7世紀中頃から後半ごろの、高松塚古墳(奈良県明日香村)と同じ造り(石槨式石室)を持つ、九州では唯一つの古墳です。この特徴ある造りと時期から、この古墳は、大分君恵尺(おおいたのきみ えさか)ではないかと考えられています。
また、南に川があり、北に山がある、風水の考え方に基づいて場所を選んでいるとも云われています。

大友氏遺跡(大友氏館跡地区)[国指定史跡]
大友氏は、鎌倉時代より戦国時代まで豊後の国を治めていました。最盛期は、戦国時代の宗麟公の時代で、北部九州6カ国を治め、南蛮貿易を盛んに行っていた国際都市「府内」は「ティセラ日本図」にも名を残すほどでした。
この「府内」の町の中心にあり、政治を行っていた場所が「大友氏館」であり、200m四方の広さがあり、巨大な庭園(写真)を持った館であったことが最近の発掘調査でわかりました。
現在は、南東部の「旧万寿寺地区」とともに、「大友氏遺跡」として順次国指定を受けています。

府内城跡[県指定史跡(一部)・市指定史跡]
慶長2年(1597)福原直高により築城が始められ、竹中重利によって慶長7年(1602)に完成した府内藩のお城です。
寛保8年(1743)の大火により、天守閣をはじめほとんどの施設が焼失し、それ以降天守閣は再建されませんでした。
現在は、大分空襲で焼失した櫓(やぐら)も復元され、城址公園として市民の憩いの場となっています。
また、築城時に人柱となったお宮をまつる祠が天守台の下にあり、毎年3月に供養が行われています。

大分銀行赤レンガ館[国登録文化財]
大分市の中心部に現存する明治時代の洋風建築です。辰野金吾、片岡安によって設計され、ランタンを持つ八角形ドームの屋根は「辰野式ルネッサンス」の特徴といわれます。
内装は改築されていますが、建築当時の姿を忠実に復元された外観は、明治建築の特徴をよく残し、中心部の都市景観の中で異彩を放っています。

大分市中央地区地図の画像

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページの内容はわかりやすかったですか?

このページの内容は参考になりましたか?

ページの先頭へ戻る