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更新日:2009年4月3日

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大分市の歴史探訪4(南部地区の文化財)

 

 楠木生石造五重塔[県指定史跡]
造立は南北朝時代の延文5年(1360年)。総高3.3mの五重塔です。笠の四隅の軽やかな反りは美しく、重厚で安定感に富んだ全体の構成と合せ優雅です。
軸部には梵字が刻まれ、基礎石には施主の名前のほか「多宝如来」と刻まれています。

 クスノキ[市指定天然記念物]
高さ約20m。根まわりは約12.8mのクスの巨木です。
地上より約4mのところで4本に大きく枝分かれし、樹冠の広がりは東西約33m、南北約45mと大きく広がっています。

 

 中間石幢[県指定史跡]
石幢は、仏堂の内にかける「幢」という旗の形から起こったとも、笠塔婆の変化した形ともいわれてます。
この中間石幢は、室町時代初期の作で、笠のすぐ下には地蔵菩薩や童子像、司命像が浮き彫りにされ、さらに笠の内側には33人の法名が墨書されており、造立にあたった人々の信仰の厚さを物語っています。

長宗我部信親(のぶちか)の墓
長宗我部信親は、天正14(1586)年、薩摩軍の豊後侵入に際し、豊臣秀吉の命を受け、大友氏支援の援軍として四国よりやってきました。
豊後・四国の連合軍は戸次河原で薩摩軍を迎え討ちましたが、軍略のまさった薩摩軍に敗れて退却しました。
この合戦で信親は討たれ、薩摩軍によって手厚く葬られましたが、後に父、元親(もとちか)は家臣と僧侶を派遣し、遺骸を荼毘に付し、墓碑をつくったといいます。

 南部地区地図の画像

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部文化財課 

電話番号:(097)537-5639

ファクス:(097)536-0435

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