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更新日:2025年4月1日
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21世紀の現在、世界各地では終わりの見えない戦争の中で多くの尊い命が失われ続けています。日本も93年前の1931(昭和6)年に中国東北部で始まった満州事変以降、中国との長い戦争に突入し、さらにアメリカやイギリスなどの国とも戦火を交え、多くの兵士が出征しました。戦争末期には日本各地が空襲を受け、大分も連日の空襲にさらされ、1945(昭和20)年にようやく戦争は終わりました。以後、平和が続いていますが、年月の経過とともに戦争を経験した世代が少なくなり、戦争体験の継承が難しくなっています。
今回の展示では、市民の皆様から寄贈を受けた資料を中心に、家族と別れ出征した兵士や、さまざまな統制下にあった戦時中の暮らしについて紹介します。
7月6日(土曜日)~9月23日(月曜日)
1931(昭和6)年の満州事変以降、日本は戦争の時代に突入しました。新聞や雑誌など、日常で目に触れるものも徐々に戦争一色になっていきました。太平洋戦争末期には、日本の他の都市と同じように大分も米軍による空襲の標的となります。電車通り(現在の中央通り)を中心に発展していた大分市街地は、空襲により荒廃し大分駅からは海が見えたと言われています。
臨時召集令状(大分市歴史資料館蔵)
第二次世界大戦中、延べ700万人以上の日本人が戦地へ出征しました。大分には、陸軍歩兵47連隊が駄原(現在の大分大学附属小中学校付近)に駐屯していました。徴兵を知らせる召集令状(赤紙)は、戦争末期には高齢者や学生にも届くようになりました。出征が決まると、兵士の家族は千人針や寄書した日の丸等を準備し、無事や武運長久を願いました。
硫黄島陣中日誌(大分市歴史資料館蔵)
戦時下の日本では、前線に出ない人たちも食糧や金属類の供出、債券の購入などで戦争への協力を余儀なくされました。また本土決戦に備えて、女性や子どもたちは「銃後の守り」として竹槍を使った訓練等も行っていました。
国防婦人会旗(大分市歴史資料館蔵)
午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
※ 都合により、上記内容について、変更になることがあります
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