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更新日:2020年1月29日
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大分の仏教文化を伝える重要な歴史遺産が市内各所に見られます。
仏教の草創期にあたる奈良時代には、東大寺(奈良県)を中心として日本各地に国分寺が建てられていきました。豊後では、市内中心部より西に位置する国分の地に豊後国分寺が建立されました。現在は史跡公園として金堂や七重塔の礎石跡を見ることができ、当時の荘厳な伽藍を垣間見ることができます。
この時代は、市内中心部の南に位置する上野の台地およびその周辺部に、国府が置かれ、当地は政治や文化の中心となりました。こうした背景の中で平安時代に元町石仏や岩屋寺石仏が造立されたと考えられます。
こうした信仰の場は、大分川下流域に沿った台地斜面の岩窟に開かれており、大分はまさに石造仏教文化を今に伝える地域となっています。
覆堂の中に東向きに7体の磨崖仏が彫られ、11世紀の造立と考えられています。その中心となる薬師如来坐像は「岩薬師」とも呼ばれ、ふっくらとした顔立ちに弓状の眉、切れ長の目は優雅で臼杵石仏と並ぶ県内を代表する磨崖仏です(国指定史跡)。
所在地 大分市元町2-2
駐車場あり
凝灰岩の岩肌に17体の磨崖仏が彫られており、平安時代後期の制作と考えられています。中央にあるひときわ大きな如来坐像(推定)をはさんで、向かって右側には、十一面観音菩薩立像など6像が並びます。左側には、不動明王立像など合わせて10像が掘りだされています。いずれも岩質があらく、像の彫刻面がひどく傷んでいるため像名のわからないものもありますが、当時のすぐれた仏教美術の技と仏教信仰の厚さを窺うことができます(県指定史跡)。
所在地 大分市古国府1-4
大分川左岸の高台に、天平13年(741)、国の安泰を願う聖武天皇の発願により建立されました。現在も七重塔、金堂などの礎石が残り、荘厳な建物が建ち並んでいたことがわかります。中でも七重塔跡は、60メートルを超える高さを持ち、全国屈指の規模を誇っています。現在は、約3万2千平方メートルが史跡公園として整備されています。また、隣接地に大分市歴史資料館があり、七重塔の10分の1模型などが展示されています(国指定史跡)。
所在地 大分市大字国分960-1
電話097-549-0880(大分市歴史資料館)
駐車場あり
霊山からのびる丘陵の石窟に、向かって右から馬頭観音坐像、如意輪観音坐像、胎蔵界大日如来坐像、大威徳明王坐像、深沙大将立像が東向きに彫られています。中でも深沙大将立像は全国的にも作例が少なく貴重です。12世紀の終わりごろに、この一帯を開発した稙田氏によりつくられたと考えられます(国指定史跡)。
所在地 大分市大字高瀬901-1
駐車場あり
石仏は、向かって左の石窟は阿弥陀三尊像で、中尊は上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)を結び鱗型四段葺の蓮華座の上に坐し、向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩像で、平安時代の終わりから鎌倉時代初期の制作とみられます。右の大きな石窟は、釈迦堂といわれ、右壁面に多聞天、左壁面に持国天像が彫られ、鎌倉時代の制作とされています。石窟内の石仏は、室町時代の造像と考えられている釈迦像が鎮座しています(県指定史跡)。
所在地 大分市大字曲1372
高さが3.3メートルあり、5層の笠をやや上が細まるように重ね、重厚でどっしりとした安定感のある層塔です。基礎石にこの塔の造立年代を示す延文5年(1360)の年号や戸次荘の有力者である平左近允幸広のほか16名の造立者の名前、供養のために造立したことを示す経文が彫られています(県指定史跡)。
所在地 大分市下戸次
ずんぐりとした石柱を立て、大きな厚い笠を置いており、素朴でどっしりとした力強い石幢です。また、笠の下に八角の龕部があり、地蔵菩薩像を含む8体の石仏が彫られています。笠の裏面にはこの石幢の造立年代が示す応永6年(1399)の年号や33名の造立者名が墨書で書かれており、当時の人々の信仰の厚さがうかがえます(県指定史跡)。
所在地 大分市上志津留