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更新日:2018年1月5日
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小藩分立により生まれた多彩な城下町文化、キリシタン大名・大友宗麟が進めた南蛮文化発祥の地・大分、ふたつの歴史に関連したスポットをご紹介します。
臼杵市内には城下町の風情を感じる町並みが多数残っており、二王座歴史の道は臼杵を代表する景観のひとつになっています。戦国時代に大友宗麟が築いた臼杵城は、江戸時代になると美濃から入封した稲葉氏が15代にわたって居城としました。現在は臼杵城址として、多くの観光客が訪れています。
別府湾を眼下に見下ろす日出城は豊後国日出3万石に封じられた日出藩初代藩主・木下延俊が築城。現在も天守閣跡・城壁・お堀跡などが残されており、城内には日出小学校が建てられています。
豊臣秀吉も絶賛した岡城は「難攻不落の名城」と賞賛されています。瀧廉太郎の名曲「荒城の月」のモチーフとして知られ、春は桜、秋は紅葉が城内を彩ります。
石田三成の妹婿にあたる福原直高12万石の居城として築城を開始し、竹中重利が完成させた府内城。現在は大分城址公園として市民に親しまれ、春にはお花見スポットとして人気です。
大友氏の館は一辺200m四方という当時日本有数の大きさで、現在発掘調査が進んでいます。大友氏遺跡体験学習館では、大友氏について学べます。
ポルトガル製大砲「国崩し」は、大友宗麟の臼杵城籠城の際、その巨大な砲弾と威力で敵の島津軍を撤退させました。臼杵城址にそのレプリカが設置されています。
津久見に切支丹天徳寺を建てて隠居した大友宗麟は、津久見で生涯を終えました。園内には江戸時代に旧家臣の末裔が建てた仏式のお墓と、大友宗麟公顕彰会が建築家・磯崎新氏に依頼して建てたキリスト教式のお墓があります。
凝灰岩壁をノミでくりぬいて造った礼拝堂は、隠れキリシタンたちの悲しい歴史を彷彿とさせます。
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