ホーム > くらし・手続き > 人権・同和問題 > 知っていますか?「水平社宣言」

更新日:2024年2月27日

ここから本文です。

知っていますか?「水平社宣言」

「水平社宣言」とは

2022年(令和4年)3月3日で我が国初の人権宣言である「水平社宣言」が出されて100年を迎えます。
この宣言は、1922年(大正11年)3月3日、被差別部落の人々が差別からの解放を目指して創立した「全国水平社」の創立大会で読み上げられました。
宣言の原文には、長い歴史の中で不当な差別を受けてきた人々の痛切な思いとともに、すべての人があらゆる差別を受けることなく、人間らしく生きていける社会の実現を願う気持ちが込められています。また、結びの一文には「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と、人間の尊厳と平等への願いが高らかに謳いあげられています。
水平社宣言に込められた被差別の立場にある人々の願いに思いをはせるとともに、次世代を担う子どもたちのためにも、すべての人の人権が尊重される心豊かな社会の実現を目指し、一人ひとりが差別をなくす行動を続けていくことが大切です。

水平社宣言(原文)※読みやすいよう、原文の一部の表記を変更しています

1922年当時の水平社宣言の原文。結びの「人の世に熱あれ、人間に光あれ」が有名。

水平社宣言(現代語版)

全国に散らばっている、われわれ差別を受けている人々よ、団結せよ。
長い間、いじめられてきた仲間たちよ、解放令がだされてから約50年の間、われわれのためといって、多くの人々がさまざまな方法で行った運動は、効果をもたらすものではなかった。同情やあわれみに根ざした運動では差別はなくならないのだ。このことを思えば、今、われわれ自身から人間を尊敬することによって、自ら自由と平等を求める集団運動をおこすのは、当然のことである。
仲間たちよ、われわれの祖先は、自由と平等を心から求め実行してきた者であった。厳しい支配政策の犠牲者であり、たくましく社会や文化を支えてきたものであった。心を引き裂かれるようなどんなに厳しい差別の中でも、人間としての誇りは失わなかった。そして、今、その犠牲者のわれわれが、差別を投げ返す時がきたのだ。われわれが、差別を受けてきた者であることを誇りうる時がきたのだ。
われわれは、自分自身を低くみたり、臆病になったりして、これまでたくましく生きてきた祖先をはずかしめたり、人間の尊厳をおかしたりしてはならない。人の世がどんなに冷たいか、人間を大切にすることが本当はどんなことであるかを知っているからこそ、われわれは、心から人生の熱と光を求め、その実現をめざすものである。
水平社はこのように生まれた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。

1922年(大正11年)3月3日

大分県水平社設立へ

明治から大正時代になり、人々の自由や平等を求める運動が勢いを増す中、それまで長い間、厳しい差別に苦しみ、耐えることを強いられてきた被差別部落の人々は、差別からの解放を求める運動を進めていきました。
そして、1922年(大正11年)3月3日に全国水平社を結成し、その創立大会でわが国で初めての人権宣言と言われている「水平社宣言」が読み上げられました。
全国水平社が創立されて1カ月も経たない、1922年(大正11年)3月25日、大分県で厳しい差別事件が起こりました。それは、別府市的が浜の松林に住んでいた貧しい人々の住居が、来県する皇族の訪問にあたり、見苦しいとの理由から当時の警察官らによって焼き払われるという事件でした。
この事件をきっかけに、差別解消を願う声が全国へ広がり、各地で水平社設立の気運が高まります。事件の翌年、1923年(大正12年)には全九州水平社が設立されました。そして、1924年(大正13年)3月30日に大分県水平社が設立されました。
 

コラム:『別府的が浜焼打ち事件』をご存じですか?
全国水平社が創立されて、1か月たらずの1922年(大正11年)3月25日、別府警察署によって別府的が浜の松林付近に住んでいた被差別の立場の人々の家屋が焼き払われた事件。
別府的が浜は、別府湾に面した美しい海岸沿いに位置していて、その海辺の松林の中に、「弓掛松」という老樹がありました。ところが、赤十字総裁である閑院宮載仁親王という皇族が、別府で行われた日本赤十字社大分県支部の総会に参加した帰りに、列車から的が浜付近の「弓掛松」を見ることになりました。
別府警察署は、皇族が弓掛松を観るにあたり、付近の住居が見苦しいとの理由で、巡査数十名が社会的に立場の弱い人々の住んでいた家屋を破壊し、焼き払ってしまいました。焼かれた家20戸あまり、約60人が焼け出されたのです。
この事件は大分新聞や中央紙からも取り上げられ、帝国議会で人権問題として議論されたばかりか、大分検察局の取り調べまで発展しました。しかし、「説得によって自分たちで取り壊した」という警察側の主張が認められ、事件は一応解決したこととなっています。
この事件を重く見た全国水平社は、各地でこの「別府的が浜焼打ち事件」の真相を語り、地域ごとの水平社設立の必要性を訴えました。

100年を迎えて

私たちが住む大分に水平社が設立されて来年で100年になります。しかし、100年迎える今でも、部落差別はなくなっていないばかりか、社会情勢の変化に伴い、インターネットやSNS上での誹謗・中傷、ヘイトスピーチ、性的マイノリティや障がいのある方への偏見、新型コロナウイルス感染者に対する差別的扱いなど、新たな差別も起きています。
今を生きる私たちに求められていることは、差別が今も存在している事実に向き合うとともに、常に正しい知識を学ぶことで、一人ひとりが「差別をしない・させない・許さない」という強い気持ちを持つことです。その上で、次世代を担う子どもたちのために、あらゆる差別がない社会を実現するよう行動していくことが大切です。
社会に光を照らすのは、あなた自身なのです。


お問い合わせ

福祉保健部人権・同和対策課 

電話番号:(097)537-5618

ファクス:(097)537-0032

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページの内容はわかりやすかったですか?

このページの内容は参考になりましたか?

ページの先頭へ戻る