更新日:2012年2月22日
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古代から、特定の人やもの、場所などにおいて、人間と自然の均衡のとれた状態が壊れた時に生じる不安を嫌い、避けようとする観念が、いわゆる「ケガレ」であり、人や特定の動物が死んだ際などに生じるとされていました。また、けがれたものや人に直接触れたりすると、それが伝染すると考えられていました。
やがて中世になり、「ケガレ」が生じると、それを「キヨメ」(清め)ることが必要であったことから、「キヨメ」に専門的に携わる人が現れました。彼らは寺社に仕え、「葬送」「死牛馬の処理」「行刑」などの役目を果たし、人々から畏れ敬われていました。ところが、彼らの果たす役割が社会生活を送るうえで大切なものだったにもかかわらず、人々は、このように「キヨメ」に携わる人々を、特別視し、差別するようになったのです。
江戸時代になると、差別された人々には「ケガレ」意識を生み出し忌み嫌われるような役(死んだ牛馬の処理や行刑など)が課されました。さらに、江戸時代の中期以降になると、幕府は、支配体制の引き締めを図るため、被差別部落の人々に対する差別を義務化し、差別を強めたのです。
明治時代になり、被差別部落の人々は解放令により平民とされ、法律上は平等となりました。しかし、差別をなくすための積極的な施策が出されることはありませんでした。さらに、職業の面でもこれまで高い技術を保ってきた伝統的な皮革の仕事などが、工業化が進むにつれ大企業などに次々と奪われました。その結果、経済的・社会的に貧しい生活を強いられることになったのです。