ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 文化 > 美術館概要 > 主な所蔵作品 > 日本画 > 【日本画】横山大観・橋本関雪・冨田渓仙の作品

更新日:2020年9月23日

ここから本文です。

【日本画】横山大観・橋本関雪・冨田渓仙の作品

大分市美術館が所蔵する横山大観・橋本関雪・冨田渓仙の主な作品を紹介します。

画像をクリックすると詳細な作品図版とデータがご覧になれます。

 

横山 大観(よこやま たいかん)

【略歴】
1868(明治元)年~1958(昭和33)年
茨城県水戸市生まれ。

1893(明治26)年、東京美術学校絵画科卒。
1898(明治31)年、岡倉天心、菱田春草らと共に日本美術院を創立。
1937(昭和12)年、文化勲章受章。
近代日本画創造の第一人者。

革新的な没線(もっせん)描法による表現を行い、朦朧体(もうろうたい)と揶揄されながらも、 水墨を用いた気宇壮大な画風に到達。
東の大観、西の栖鳳(せいほう)と称され、画壇において重きをなした。

 横山大観「後赤壁」の写真

「後赤壁」1902年

 橋本 関雪(はしもと かんせつ)

1883(明治16)年~1945(昭和20)年
神戸市生まれ。 本名関一。

1903(明治36)年、京都に出て四条派の竹内栖鳳(たけうちせいほう)に入門。
1908(明治41)年、文展初入選。以後、出品を続ける。
1916(大正5)年、文展特選。
1934(昭和9)年、帝室技芸員、翌年、帝国美術院会員。

四条派の写生に、琳派や南画等を取り入れながら、日中の歴史・文学に取材した作品を数多く描いた。

 橋本関雪「江城晩帰図」の写真

「江城晩帰図」不詳

 冨田 渓仙(とみた けいせん)

【略歴】
1879(明治12)年~1936(昭和11)年
福岡市生まれ。本名鎮五郎。

初め、狩野派を学び、1896(明治29)年、京都に出て四条派の都路華香(つじかこう)に入門。
その後、四条派の画風を離れ、新南画を描く。
1912(大正元)年、第6回文展入選。その折、横山大観に認められ、
1914(大正3)年、院展出品。
翌年、日本美術院同人。以後、院展を中心に活躍。
1935(昭和10)年、帝国美術院会員となる。
翌年、京都市で没。

冨田渓仙「歳寒四友」の写真

 「歳寒四友」不詳

   

 

Adobe Acrobat Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部美術館 美術振興課 

電話番号:(097)554-5800

ファクス:(097)554-5811

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページの内容はわかりやすかったですか?

このページの内容は参考になりましたか?