更新日:2021年11月24日

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瀧廉太郎終焉の地について

「瀧廉太郎終焉の地」の標柱・説明板

名曲「荒城の月」などを作曲したことで知られる瀧廉太郎は、明治36年6月29日に23歳と10か月の若さで亡くなりました。
現在遊歩公園がある場所に、彼が最期を過ごした自宅があったことから、瀧廉太郎終焉の地として、その地に標柱と説明板が設置されています。

標柱「瀧廉太郎終焉の地」 説明板
標柱「瀧廉太郎終焉の地」 説明板

説明板の内容

瀧廉太郎君像

瀧廉太郎終焉の地の近くには、「瀧廉太郎君像」が設置されています。
この像は直入郡高等小学校同窓の彫塑家・朝倉文夫の手で作られました。

瀧廉太郎君像(朝倉文夫作)

瀧廉太郎君像(朝倉文夫作)

所在地

瀧廉太郎終焉の地

大分市府内町2丁目5番 (「大手町二丁目」交差点北側 遊歩公園内 )
地図(別ウィンドウで開きます)

瀧廉太郎君像

大分市府内町1丁目6番 (「大手町二丁目」交差点南側 遊歩公園内 )
地図(別ウィンドウで開きます)

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お問い合わせ

都市計画部公園緑地課 

電話番号:(097)537-5976

ファクス:(097)538-1249

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