ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 文化 > 展覧会情報 > 過去の展覧会 > 平成22年度(展覧会情報) > 22年度 特別展2「郷土在住作家展4 菅久展/児玉成弘展」
更新日:2011年3月29日
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別府湾暮色 2007年 第61回二紀展/成井賞
菅久(大分市在住)は、1926年、中国の東北部、現丹東市で生まれました。中国山東省青島で青年期を過ごしますが、1945年、現地召集兵として徴兵され戦地に赴き、召集解除後、1946年、日出町に復員。1947年からは、中学校で美術を教える一方、本格的に油彩画の制作に取り組み、1950年、第4回二紀展に《No.5》を初出品して初入選。以後、同展を中心に中央での発表を続け、1956年、同会同人、1986年、同会会員、1993年、同会委員に推挙されました。
また、地元大分では、1950年、岩尾秀樹らの「ネギ」、廣瀬通秀らの「スバル会」など、若手前衛美術家グループに参加、1980年以降も「潮流展」に参加するとともに、1965年、大分県美術協会事務局次長(日洋彫工部事務局長)、1985年、大分県芸術文化振興会議常任理事、1995年、大分県美術協会名誉会員となり、大分県の美術振興に尽力しました。
本展では、初期の「抽象」シリーズ、中期の「美神」シリーズ、現在の心象的風景画「桜」シリーズなど代表作約60点、並びに関連資料を展示し、その全容を紹介しました。
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時華-2003.7 青へのプロセス 2003年 第58回行動美術展
児玉成弘(大分市在住)は、1932年、大野郡三重町(現:豊後大野市)に生まれました。1955年、大分大学教育学部を卒業後、中学校で美術・英語を教える一方、本格的に油彩画の制作に取り組み、1959年、第13回二紀展に初出品して初入選。以後、行動美術展への出品を始め、1962年、第17回行動美術展に初入選、以降、同展を主舞台として中央での発表を続け、1983年、第38回行動美術展で奨励賞を受賞、同協会会友となり、1991年、同協会会員に推挙されました。
また、地元大分では、1961年の「大分前衛美術会」、1968年から1972年までの「7人の会」、80年からの「潮流展」、その後の「新潮流展」など、新進の美術グループに参加するとともに、1974年には、二宮秀夫らと「行動大分作家協会」を立ち上げ、1985年からは、大分県美術協会事務局次長(日洋彫工部事務局長)を務めるなど、大分県美術の振興に尽力しました。
本展では、初期の「少年」、「患者の日課」、中期の「視座」、「街角」、近年の「視界」、「生域」等のシリーズから代表作約60点、並びに関連資料を展示し、その活動の全容を紹介しました。
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