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更新日:2023年3月1日
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府内城は、慶長2年(1597)、福原直高により築城が開始され、竹中重利が増改築を行い、慶長7年(1602)には四層の天守を含む城の全容が完成しました。これに続き城下町の建設が行われ、東西1,200m、南北950mの範囲で府内城下町が完成しました。その後、日根野吉明の入封を経て、万治元年(1658)に松平(大給)忠昭が新藩主となり、その後明治4年(1871)の廃藩置県まで、10代にわたる藩主によって府内藩政が進められました。この間、寛保3年(1743)の大火によって、天守を始めとする城の施設の多くが焼失し、天守が再建されることはありませんでした。明治以降二の丸には大分県庁が置かれ、昭和20年(1945)7月には大分空襲による戦災で南西角櫓など5つの櫓が焼失しました。 現在の府内城は、昭和41年(1966)に焼失した櫓が復元され(鉄筋コンクリート製)、城址公園として市民の憩いの場になっています。また大分市では平成6年に「府内城周辺整備事業」に着手し、平成7年度に二の丸と山里丸を結ぶ廊下橋の復元を行いました。
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名称 | 府内城跡(ふないじょうあと) |
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指定等区分 | 県指定史跡・市指定史跡 |
指定年月日 | 県:昭和38年2月15日 市:平成7年2月17日 (県指定を除く城地) |
時代 | 江戸時代 |
所在地 | 大分市大手町3丁目の一部・荷揚町73、75 |
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