更新日:2020年9月24日
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大分市美術館が所蔵する帆足杏雨の主な作品を紹介します。
画像をクリックすると詳細な作品図版とデータがご覧になれます。
帆足 杏雨(ほあし きょうう)
【略歴】
1810(文化7)年~1884(明治17)年
豊後国大分郡臼杵藩領戸次市村(現大分市)生まれ。
江戸時代後期の画家。
名は遠、字は致大、通称は熊太郎、杏雨は号。
代々酒造業をも営む庄屋の四男に生まれ、教養人に囲まれた高い文化的環境の中で、幼少の頃から画を好んだ。
田能村竹田や浦上春琴に師事し、また共に画を志した交友の中には高橋草坪、平野五岳などもいた。
さらに詩文を頼山陽、広瀬淡窓、帆足万里、篠崎小竹などに学び当時第一級の文人達と交わる。
はじめ師である竹田風の画を描いていたが、明や清の中国絵画を学習する中で、温和で典雅な独自の画風を確立する。
晩年の1873(明治5)年にはウィーン万国博覧会に作品を出品し、幕末明治期の代表的な文人画家として成長を遂げる。
田能村竹田の後継者として杏雨に影響を受けた画人は多く、豊後南画の盛況にもっとも貢献した一人である。
「清渓書屋図」1829年 |
「京游詩画帖(浜市図)」1832-33年 |
「梅渓暁艤図」1834年 |
「浅絳山水図」1835年 |
「巴峡蜀舩図」1837年頃 |
「設色花鳥図」1841年 |
「松下納涼図」1842年 |
「風雨渡航図」1845年 |
「秋聲賦(画)」1847年 |
「老圃秋容図」1848年 |
「南山松柏図」1851年 |
「李青蓮詩意山水図」1854年 |
「曲渓複嶺図及題詩」 |
「秋渓間適図」1832年 |
「澗道石門図」1834年 |
「漁樵問答図」1834年 |
「峻嶺飛泉図」1865年 |
「霜林晩靄図」1865年 |
「梅花山茶花群雀図」 |
「粉團鳳仙戯鳥図」 |
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