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更新日:2014年2月19日
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南蛮文化発祥都市宣言の様子
南蛮文化発祥都市宣言
私たちのまち大分市は、戦国時代の終わりごろ日本を代表する国際色豊かな貿易都市として繁栄しました。九州の雄「大友宗麟公」は、聖フランシスコ・ザビエル神父を豊後府内に招き、海外との貿易を積極的に進めました。府内のまちは海外の品々が溢れ、異国の人々が行き交い、西洋の医学や天文学、音楽、演劇をはじめとする南蛮文化がいち早く花開きました。
今日は地方の時代といわれ、きびしい都市間競争のなか、自らの住む地域の歴史や文化を活かした個性と特色あるまちづくりが求められています。私たちは、新しい歴史の扉を次々と拓いていった宗麟公の進取・開明の気風に学び、その偉業と歴史遺産を市民共有の財産として次の世代にしっかりと伝えていかなければなりません。
ここに、私たちは大友宗麟公の功績と我が国でいち早く南蛮文化が花開いた豊後府内を誇りとし、魅力に満ちたふるさと大分を創造する決意をこめて「南蛮文化発祥都市おおいた」を宣言します。
平成25年8月10日
大分市長 釘宮 磐