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更新日:2018年1月5日

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スポット・体験

知ってるようで知らない高崎山自然動物園の不思議

大分市を代表する老舗観光スポット、高崎山自然動物園。別府市との境にある標高628m、面積330haの山にある自然動物園には、餌付けされたニホンザルが集まってきます。全国的にも有名な高崎山ですが、あまり知られていない面白エピソードがたくさんあります。そのいくつかをピックアップしてご紹介します。

高崎山って、こんな山
高崎山入口

高崎山は休火山。約50万年前には溶岩ドームとして活動しており、火砕流が噴き出して海へなだれ込み、長年かけて今の形になりました。
かつては四方を広く見渡せることから「四極山(しはつやま)」と呼ばれており、14世紀の半ばには、この地形を利用して大友氏が難攻不落の山城を築いていました。今でも主郭などの曲輪(くるわ)や土塁、のろし台などの遺構が山頂部で見ることができます。
かつては西大分から高崎山まで7つの御崎があり、「高き山の出埼(でさき)」、つまり「高い山が御崎(岬)に突き出ている」という山容から「高崎山」と呼ばれるようになりました。
高崎山自然動物園がある別府湾側とは逆の南側には、田ノ浦海岸や柞原八幡宮等からアクセスできる登山口があり、高崎山セラピーロードと呼ばれる登山道が整備されています。

猿が棲みつくようになったのは?
高崎山の猿の様子

高崎山に猿が見られるようになったのは1600年前後といわれています。しかし、それより以前の1400年頃から伝わる民話があります。豊後府内の中屋玄通(なかやげんつう)という行商人が、高崎山のふもとで大きなカニに足をはさまれ苦しんでいる猿を助けてあげました。それを喜んだ猿が玄通を高崎山の奥まで案内していくと、そこには大きな岩から美味しいお酒が湧き出ていたというもの。これが今も人気の「猿酒」にまつわるお話です。
さて、現在のように多くの猿が集まるようになったキッカケは、昭和27年当時に上田保(うえだたもつ)大分市長が、周辺農家に危害を与えていた猿を集め、猿山として観光地にしようと試みたことに始まります。当初、市長が自らホラ貝を吹き、リンゴを使い猿寄せにチャレンジしましたが、なかなか集まらず、餌をサツマイモに切り替えたところ、警戒していた猿も次第に山から降りてきたといいます。翌年春には、無事に高崎山自然動物園の開園に至りました。この一連のお話は「ただいま零匹」というタイトルで小説や映画にもなりました。

映画「ただいま零匹」のワンシーン
世界で初めて猿に名前を付けた高崎山
A群初代のαオス(ボス猿)「ジュピター」記念像(朝倉文夫 作)

現在の高崎山の猿はB群とC群に分かれており、その頭数は1,173頭(平成30年12月27日現在)。頭数の数え方は「行列カウント方式」という、猿が山から集団で降りてくる道に関所のようなものを設け、職員とボランティアの皆さん含めて20数名で猿のお尻を見て性別や年齢も識別し数えていきます。ちなみに人間の「人口」に対し、猿は「猿口(えんこう)」と呼ぶそうです。
最近の高崎山といえば「人気ザル(メス)、イケメン(オス)選抜総選挙」といった人気イベントが有名で、平成30年には、流行語大賞にも選ばれたカーリング女子日本代表の「そだねー」から名前をとった「ソダネ」が一位となり、イギリス王女と同じ名前で話題を集めた「シャーロット」も毎年上位にランキングされています。初代ボスの「ジュピター」、現在のB群ボス「ナンチュウ」、C群ボス「ブラック」など、ユニークな名前にも注目です。ローリングストーンズのミックジャガーに似ているとされる「ミック」、母猿「ミテル」に娘の「ミナイ」「ミテタ」、「ユキチ」や「ゴルゴ」など、名前を聞くだけでも楽しくなってきます。
世界で初めて猿に名前を付けて識別をはじめたのは、高崎山だとされています。猿の研究で有名な京都大学の伊谷純一郎教授が猿に名をつけて学会で発表した時は、世界中が驚いたといいます。ちなみに初代ボス「ジュピター」は、伊谷教授が名付け親でした。

調べれば調べるほど面白い高崎山の猿のお話。面白エピソードはまだまだたくさんありますが、まずは現地で説明をする係員のお話が必聴ものです。

高崎山自然動物園の風景
シャーロット親子
さるっこレール
さるっこレール
サルへの餌やりの様子
サルへの餌やりの様子
さるだんご
さるだんご

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