ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > 大友氏のルーツをめぐる小田原市への訪問について
更新日:2019年3月19日
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大分の戦国大名の英雄といえば大友宗麟。この秋には大友氏遺跡に南蛮BVNGO交流館がオープンする予定であり、市民や観光客の大友氏への関心が更に高まるものと期待しています。
さて、実は、この大友氏のルーツは、豊後国ではなく相模国です。大友家の初代・大友能直は、鎌倉時代の御家人で、将軍・源頼朝からも信頼が厚く、相模国大友郷(現在の神奈川県小田原市内)を領していたところ、1196年に豊後国守護に任じられました。以来、400年、22代にわたり大友氏は豊後国を治めることになったわけです。大友氏は同紋衆として関東から多数の家来衆を連れて豊後に渡りましたので、今の大分市民も相模国の血筋が濃いのかもしれません。
そのようなご縁から、このたび桑田副市長が歴史小説家・赤神諒氏とご一緒して大友氏の発祥の地の小田原市をお訪ねし、大友家に関わる史跡を視察させていただくとともに、小田原市役所を表敬訪問いたしました。(赤神氏は大友家をテーマにした作品を次々と世に出されております。)
大友氏の発祥の地である相模国大友郷は、現在も小田原市の北東部に「東大友」「西大友」という地名で残っています。(読み方は「おおとも」ではなく「おおども」と濁ります。)
この地域には、初代・大友能直の生まれた屋敷跡や能直が建立したとされる長善寺などの史跡があります。
小田原市の大友地区の全景 |
大友地区の田園風景 |
大友氏初代・能直が生まれた屋敷跡 |
大友氏初代・能直が建てた長善寺 |
大友氏初代 能直が祀った弁財天 |
豊後国主としての大友氏の最後の当主であった大友義統(宗麟の嫡男)も小田原と縁がありました。
豊臣秀吉による北条家・小田原城攻めの際に義統も参陣しており、秀吉が北条方を驚かせた、世に言う「一夜城」において、義統も関白秀吉と一緒に布陣したとの記録が残っています。
石垣山一夜上入口付近 |
石垣山一夜城の本丸物見台からの小田原城
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石垣山一夜城の井戸曲輪付近 |
小田原市役所の訪問では、加藤憲一市長様、鈴木悌介・小田原箱根商工会議所会頭様に温かくお迎えいただきました。心より感謝申し上げます。
大友氏のルーツを通じた今後の両市の交流が進むことをお互いに願って懇談が進みました。
左から、小田原箱根商工会議所会頭・鈴木悌介氏、 |
小田原市長からいただいたお土産「虎朱印」 |