大友氏の菩提寺旧万寿寺跡に建てられており、大友氏の歴史を中心に、遺物や遺跡を肌で感じ、楽しく歴史に触れることができます。(TEL097−544−5011)
鎌倉時代から戦国時代までの中世の時代(12世紀末から16世紀)は、大友氏(初代能直から第22代義統)が豊後府内の主として君臨していました。中でも第21代義鎮(宗麟)は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らの天下人とほぼ同世代の人ですが、天文19年(1550)、21歳で家督を継ぎ父義鑑から受け継いだ豊後・肥後に加え、肥前・筑前・筑後・豊前の北部九州6国の守護職を手に入れ、九州探題にも任じられました。領国を拡大させた宗麟は、毛利氏・龍造寺氏・島津氏らと九州の覇権をめぐる戦いをくりひろげる一方、ポルトガルや中国などとの外国貿易を積極的に進めました。また、フランシスコ・ザビエルを招いて領内でのキリスト教の布教を許可し、手厚く保護しました。宗麟は豊後府内の都市改造を行い、5000戸ほどの家屋が立ち並ぶ九州最大の国際貿易都市豊後府内を完成させました。まちの中心の大友館は、約200メートル四方の広大な面積をもち、戦国大名の館としては全国屈指の規模の館でした。大友館を中心にして万寿寺など多くの寺社も建てられ、道路に沿って40あまりの町が形成、その西側には教会や西洋病院、学校(コレジオ)もつくられ、南蛮文化のかおり高い都市として発展しました。
宗麟の招きによって府内を訪れたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは宗麟の許可を得て豊後でのキリスト教の布教活動を始めました。宗麟の手厚い保護もあり、府内を中心にキリスト教は次第に広がり、信者は約1万人を数えたといわれています。府内には府内教会(デウス堂)が建てられ、教会では毎日ミサが行われ、オルガンやビオラに合わせて聖歌を歌ったり、宗教劇が演じられたといわれています。
大友氏5代貞親が博多の承天寺の僧を開山に請じて諸堂を建立しました。(大友氏遺跡体験学習館が建っている場所)島津氏の兵火に焼かれ、一時廃寺となっていましたが、府内城主竹中重義の援助を受けて現在地に再興しました。また野生猿で有名な高崎山に別院があります。
大友氏11代親著が一寺を創建して、万寿寺に在住していた師を開山として招じたといわれています。
戦後、市の復興計画の一環として、昭和26年に整備され、公園には数々の南蛮文化のかおる彫刻などが350メートルにわたって設置され市民に広く親しまれています。
聖フランシスコ・ザビエル像 西洋音楽発祥記念碑
伊東ドン・マンショ像 育児院と牛乳の記念碑
西洋劇発祥記念碑 滝廉太郎
公園の付近一帯は埋め立てられているが、かつては、浅海の波に洗われる美しい海浜で平安時代、近くに神宮寺が建立されたところから、この名がついたといわれています。ポルトガルや明との貿易を行った大友宗麟はこの浜辺を交易場として利用したといわれています。それにちなんだ「南蛮貿易場址」の碑があり、その側に太刀を杖にした陣羽織姿の大友宗麟像が建てられています。
松平忠直(一伯)公の墓は王子西町の浄土寺境内にあります。山門をくぐると左手に松平忠直(一伯)公の霊廟が建てられています。霊廟は本堂、庫裏などともに国登録有形文化財となっています。