大分市のあらまし

 大分市の特性

 

 歴史

 
 大分という地名の由来は、豊後国風土記において、広々とした美田、碩田と名付けられ、後に「大分」と書かれるようになったのが始めともされており、古代から現代まで、大分市は政治、経済、文化の中心的な役割を果たしてきています。

 
 中世・戦国時代には、大友宗麟の下に隆盛を極め、最盛期には北部九州の大半を支配下に治めて、世界にも知られた全国有数の貿易都市豊後府内が形成されました。これに伴い、医術、音楽、演劇など日本で最初の西洋文化が大きく花開きました。

 
 その後、大友氏は島津氏や龍造寺氏などとの対外戦争に敗れ、内部抗争もあって次第に衰退し、江戸時代には小藩分立の中、独特の地域づくりが展開されました。

 
 明治時代に入ると、近隣の町村との合併が繰り返され、明治44年(1911年)4月には市制が施行されました。

 
 激動の昭和時代にあって、太平洋戦争による戦災と混乱、そして復興を経て、高度経済成長期には、新産業都市として、鉄鋼、石油化学、銅の精錬など重化学工業を中心に発展を遂げ、近年ではIT関連企業が進出するなど様々な産業が集積しています。

 

 交通では、日豊、久大、豊肥の鉄道3線や高速道路など県内外からの主要幹線道が合流しており、また、豊後水道を経由して内外に通じる海上交通が発達し、東九州における経済活動の一大拠点を担っています。

 
 平成23年(2011年)4月には「市制施行100周年」を迎え、ますますの飛躍が期待されているところです。

 

  自然


 大分市は、九州の東端、瀬戸内海の西端に位置し、周辺部を高崎山、九六位山、霊山、鎧ヶ岳、樅木山などの山々が連なり、市域の半分を森林が占めるなど豊かな緑に恵まれています。これらの山々を縫うように県下の二大河川である大野川と大分川が南北に貫流しながら別府湾に注いでいます。その下流部には大分平野を形成しており、海岸部においては、北部沿岸海域は水深が深く、東部海岸は豊予海峡に面したリアス式海岸で天然の良港となっています。


 市域は東西50.8キロメートル、南北24.4キロメートル、面積502.39平方キロメートルと九州でも有数の広い市(107市中15番目、県庁所在地では、宮崎市、鹿児島市に次いで3番目)となっています。

 また、気象は瀬戸内海気候に属し、温暖で、自然条件に恵まれた地域です。


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