毛利空桑記念館

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県指定史跡毛利空桑旧宅及び塾跡

毛利空桑記念館

毛利空桑記念館概観

知来館


知来館

(塾跡・県指定史跡)

 空桑の開いた私塾。文政7年(1824)に開かれ、現在地には安政4年(1857)熊本藩の援助で建てられました。1階は生徒の日常生活の場、2階が講義室となっています。禁酒、男女交際・娯楽の禁止など25カ条にのぼる厳格な塾則の下に、遠くは山城(京都)、美濃(岐阜)などから生徒が集まり勉学に励みました。門下生は鶴崎出身者481名など890名を数えます。


天勝堂

(旧宅・県指定史跡)

 空桑の私宅。知来館と一緒に郷里の常行村に建てられたものです。現在地には安政4年(1857)知来館とともに移転・改築されました。1階は5室、2階は3室からなり、2階のはしごは防戦のために取り外しができる構造となっています。江戸時代の民家の造りを伝える貴重な建物です。

天勝堂

毛利空桑記念館


毛利空桑記念館

 

 郷土の偉人・毛利空桑の業績を記念して設立した施設です。記念館は、遺品館(空桑の著述、詩作、生活用品など遺品を展示・収蔵)・知来館・天勝堂の3つの建物から成っています。昭和48年(1973)毛利弘氏(空桑のひ孫)から大分市へ、建物・敷地・遺品が寄贈されました。現在の遺品館は、昭和60年(1985)に庭園と併せて整備されたものです。

 毛利空桑(1797~1884) 
 
幕末から明治初めに活躍した儒学者・教育家・尊皇論者。名は倹、通称は到、空桑は号です。鶴崎の脇蘭室、日出の帆足万里に学び、また熊本の大城霞坪、福岡の亀井昭陽に教えを受けました。文政7年(1824)に郷里の常行村(現大字常行)に私塾・知来館を開き、後には鶴崎の熊本藩士子弟の指導方にも任じられました。「文ありて武なきは真の文人にあらず。武ありて文なきは真の武人にあらず」を信念とした剛毅端正な人で、勤倹を実践して子弟の指導にあたりました。
長州藩の吉田松陰や岡藩の小河一敏らと交流を持ち尊皇の思想を主張、長州の脱藩者・大楽源太郎をかくまって牢に入れられたこともあります。また、明治の民権思想は国体を損なうとして反対しました。明治17年
(1884)に、生涯をとおして青少年の教育に携わったことに対して従六位の位が与えられました。88歳でこの世を去った空桑の墓は常行にあり、県指定史跡になっています。

 

地図毛利空桑記念館
大分市鶴崎381番地の1
電話 097-521-4893
アクセス:JR日豊本線「鶴崎」駅より徒歩20分
                自家用車 宮河内ICより15分
●見学時間:午前9時~午後4時30分
●入 館 料:無料
●休  日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合翌日)    但し、毎月第1月曜日は開館、翌火曜日休館
 


-お問い合わせ-
教育委員会事務局教育部 文化財課
電話(097)537-5639
FAX(097)536-0435

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