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更新日:2019年2月15日

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N0.483「当たり前と思っていることでも」

 先日、父に付き添い、病院に行った時のことです。手続きの順番を待っていると、高齢の男性が受け付けにとても時間がかかっていて、わたしはイライラしていました。様子を見ていると、その男性は話し方もはっきりしていて、腕や手を怪我しているという感じでもないのに、隣にいる付き添いらしき人に強い口調で一つ一つ指示して書類を書いてもらっていたのです。
帰りの車中、父にこの出来事を伝え、「自分でできるのに手伝わせるなんてずうずうしい。自分で書けばいいのに」と本音をぶつけました。父は苦笑いしながら「わたしも、お前に付き添ってもらっているけど、ずうずうしいのかな」とつぶやきました。わたしが「いや、そういうことじゃなくて…」と言うと、父は「もしかしたらその人は字が書けないんじゃないか?」と続けたのです。わたしは、「まさか。ちゃんと話していたし、日本に住んでいて、日本語が読み書きできないなんてことはないでしょ」と反論しました。すると父は、少し考えた後、「お前のおばあちゃん、昔は字が書けなかったんだよ」と、亡くなった祖母のことを話し始めたのです。家計が苦しく、家の手伝いに追われる生活だったために十分に学校に通えなかったこと、そのために会話はできても読み書きができなかったこと、改めて学び直して字が書けるようになったことを教えてくれました。
初めて聞く話に驚いていると、父は「それに、お前も海外旅行をした時に言葉が通じず読み書きに困ったと言っていたよな」と話してきました。確かにその通りでした。その旅行は、英語が堪能な友人についていくだけでよい快適なものでしたが、自分一人の時には不安で何もできず部屋に閉じこもっていたことを思い出しました。
父に「もしかしたら…って想像することが大切じゃないかな。そうすれば、相手がどんな気持ちなのかを感じることにつながると思うよ」と言われ、わたしは恥ずかしく感じました。

(ある大学生の話より)kippi

見た目では分からない困りのある人、そしてそれを表に出しづらい人はたくさんいます。自分の中にある「当たり前」や「常識」を見つめ直すことが大切であり、それが同和問題をはじめとするさまざまな人権問題を解決する第一歩となるのではないでしょうか。

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部人権・同和教育課 

電話番号:(097)537-5651

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